4.6.12

モントリオール1985年の夏休みーその11(オルレアン島2)

オークランドは、昨日の6月1日で、正式に冬に入ったということになりました。私は、とても健康なのに風邪をひいてしまうと微熱と咳が長引くので、注意しようと思っていた矢先。。。昨日の夜から喉が痛み始め、今、一生懸命、うがいをしたり、薬をのみ、飴や蜂蜜をなめて、ひどくならないように頑張っているところです。体も冬が到来したことをちゃんとわかっているのですね。


今週もオルレアン島について書きたいと思いますが、その前に少しルネの現在のお話をいたしましょう。ルネは、今ももちろん現役でいろいろな仕事に頑張っているわけですが、現在一生懸命に準備して取り組んでいるのは、7月3日から8月の30日までの長期にわたって、ケベックの3カ所の劇場で上演予定のコメデイミュージカル ’Chantons sous la pluie’ (雨に唄えば)のためのレコーデングや、練習です。披露する歌のひとつ Bien l'bonjour’のスタジオでのレコーデイングの様子がyoutubeと le journal de quebecのサイトで公開されました。ルネが生き生きともう2人の主演の役者と(総勢の出演者は30人ぐらいだそうですが)唄っている様子は、すごくステキですよ。そして、歌も一緒に唄いだしたいぐらい楽しいです。ルネの眼鏡に注目!ルネ友さんとの間でも、この眼鏡のことでワイワイ。なぜかというと、これは、みなさんが予想されるように、「老眼鏡」リーデンググラスだからです!ルネももう51才ですからね。これも自然なことなのです。





 

’Chantons sous la pluie’ (雨に唄えば)のためのレコーデング風景


 



 さて、ルネが、bien l'bonjour! bonjour!  と唄っているのを観て、元気がでたところで、オルレアン島での時間について書いて行きたいと思います。


  85年の旅行アルバムの中に入っているオルレアン島の地図とパンフレット

先週は、ルネの住んでいた「船長の家」についてお話していましたが、その後、フェイスブックの「ルネシマール」という日本語だけでお話しするスペースで、google earthやgoogle map などでルネの家がセントペトロニルのどの辺りにあるのか(あったのか)知りたくて探していたけれど見つからなかったという話がでて、みんなで、調べる事に。「ウオーリーを探せ!」ゲームのように!そして。。。なんと!見つけたんですよ!google map のstreet viewというプログラムを使って!ルネが住んでいた頃からずっと家の前にあった家と同じ形をした郵便受けと85年に見ていた家の周りの風景が決めてでした。

ルネの「船長の家」

186 Chemin du Bout de l'Île
Sainte-Pétronille, QC G0A 4C0, Canada

このイメージは、2009年のものだそうで、たぶん春のはじめ?まだ周りの木には、まったく葉がないので、夏のイメージばかり覚えていた私も、これが、85年にみた青いペンキの船長の家だと実感するまで少し時間がかかりました。日本のルネ友さんたちの多くがオルレアン島に行ってこの家を見つけるまですごく大変だったこと、あるいは、この家を見逃してしまったことなどのお話をきいています。私も、あのイチゴキッズがいなかったらこの家を見ることは、できなかったでしょう。ということなので、このブログを見て下さっていて、これからオルレアン島に行って、是非ルネの船長の家を見たい!というルネファンのために、ここで、この家の住所を公開したいと思います。ルネとこの家がまだ関係しているとしたら、公開は控えますが、現在は、関係のない方の所有となっているようなので、大丈夫だと思います。訪れる方は、現在住まわれている方のご迷惑にならないように十分気をつけてくださいね。




facebookでのケベックナタリーの大ファン友のジョニー君が見せてくれた2006年7月27日に撮った「船長の家」。周りのミドリの木があるのとないのでは、まったく雰囲気がちがいますよね。



島に行くことがむずかしいけれども、是非、散歩感覚でルネが日本デビューの頃に住んでいた家のまわりを歩いてみたいという方は、google map にこのアドレスをコピーして、サテライトで見て下さい。そうすると黄色の人間アイコンが左上にでますので、そのアイコンをクリックしてサテライトの地図上に飛び出させます。そしてストリートビューに買えるとこの船長の家をみることができますよ。振り返って、すこし進むとケベックシテイが見える海辺の通りも良さそうです。ルネは、教会に行くときに、その辺を歩いたのですから!

ルネの家族は、ルネが生まれたチクテイミからこの島へ来て、最初に暮らした「白い家」という家もあったことは、先週書きましたが、この白い家もケベックのファンのシルビアさんのアドバイスで見つけることができました!(家人からルネのストーカーは、やめてルネをほっておいてあげたほうがいい!とよくいわれていますが、私は、ストーカーではありませんので!笑)


ルネの「白い家」
204 Chemin du Bout de l'Île 
Sainte-Pétronille, QC G0A 4C0, Canada

この「白い家」は、「船長の家」の前の通りを十分くらい(とシルビアさんは、言っていました。)先に(歩いて)先に進んで、曲がり角を左にまがるとそのすぐ近くの右がわに見ることができます。サテライトの地図があるのでよくわかると思います。ということは、ルネがデビューするまでこの家にいて、まもなく「船長の家」を購入したのでしたが、この2つの家は、とても近かったことがわかります。

ブログ「ミドリ色の屋根は永遠に」のkeiさんのお話では、ルネのドキュメンタリー映画「普通の子供」の中に、ルネ一家が教会にでかけた帰り道でこの船長の家が売りに出ていたのを見て、購入したいと願っていて、ルネのデビューが成功した後に、とうとう購入することができ、ルネが売り家のサインを投げ捨てるシーンがあると言われていました。まさしくルネが通っていた教会に行くためには、今通ってきた道をもどり、船長の家の前をとおり、少し行くと、教会へ続く林の道が右がわにあります。「うーん、そうだったのか!」と、また中学生のあの頃にもどってうなずく私がいます。私だけではなくて、フェイスブックのルネ友さんも同じようなリアクションでした!同じ気持ちをおなじように分かち合えるルネ友さん達がいるということは、どんなに楽しく嬉しいことでしょうか。


youtubeで、トロントのルネのファン、caseyさんがアップしている「普通の子供」があります。その11がファイナルですが、そこにルネが「船長の家」を購入して、家族とともにやってきて、売り家のサインを家からはずすルネの姿を見ることができます。また、最後にルネが「普通の子供」を英語で唄っているのが聴けますよ。





 さ、では、次に1985年の夏に私が探したところは、ルネの小学校でした。これは、どのように探したのか覚えていませんが、ストリートビューで見てみると、オルレアン島橋をわたって、すぐのところにあって分かりやすいところで、まさしく「学校!」という建物でしたから、ルネの家を探すほど大変ではなかったと思います。

ルネの通ったセントペトロネルの小学校(1985年7月)  日本に置いてある旅行のアルバムにある写真です。


私が訪問した当時、この建物は、もう小学校の様子はなく、幼児を預かるデイケアセンターとして使われていたのです。夏休みだったから、小学校というイメージがなかったのかも?といわれると自信がありませんが、中に入って見学もさせてもらったのですが、ルネの学校の記事によく使われていた2階の教室に上がっても、教室っぽくなかったという記憶があります。掃除のためにきれいに室内が片付けられていた?でも、そこにいた先生とも話した記憶があって、もう小学校としては使われていないという話を覚えているのです。うーん、本当のところはどうだったのか。。。この写真をよく見てみると、階段の下のところに子供かその世話をしていた大人/先生?の姿が見えます。たくさんの幼児たちが、階段の下の入り口をはいった部屋で遊んでいました。

 
 雑誌の付録?としてついていたと思うルネのポスター。小学校の2階の窓っぽいですよね。大好きなルネのポスターの一つです。(1975年)


 photo@kei ミドリ色の屋根は永遠に〜ルネシマールに首ったけ

そしてこれが雑誌「明星」に載った1975年のルネとセントペトロニル公立学校。記事には、ルネがこの学校の8年生と書かれています。BC州での学年の進み方は、アメリカ式と同じで、8年生と言えば、日本で言う中学生なので小学校とお別れし、中学校に行ってました。ルネの住んでいたこの島には、中学校や高校にあたる学校がなかったのかもしれませんね。だから8年生でもこの学校に通っていたのかもしれません。ケベック州でも他の英語圏の州とおなじシステムだったらの話ですけれど。基本は、日本と同じ。


日本の学校のシステムは、戦後アメリカがやってきて教育制度も変えたので、それからはずっとアメリカと同じシステム、そしてカナダもにたようなもの。英連邦の国なのに、アメリアと同じようなシステムをつかっているカナダとは違って、私の住むニュージーランドは、大学も含めてイギリス式です。だから5才から小学校に入学(これは、カナダでもおなじかも)、インターミデアットと呼ばれる小学校5、6年が別に行く学校がある場合には、そこを経由して、セカンダリー(シニアとは言わないのです)と呼ばれる高校にあたる学校に進学します。たいていの場合は、小学校で11、12才まで勉強し、そのあとの5年間は、セカンダリーの高校で勉強するという感じ。中学と高校を合わせたようなシステムですね。そして、ハイスクールと名前がついている学校もありますが、たいていは、カレッジという名前がついてしまっているので、日本の人は、こちらの高校生を大学生だと勘違いしてしまうことが多いのです。「若いのに、もう大学生ですごいわねー!」という声がよく聞かれます。学年もグレード(grade)とは呼ばず、イヤー(year)と呼ばれます。1年生が5才ですから、小学校が終わるのが8年生、カレッジに入るのが、9年生からということになります。

つい、よけいな話になりました!さて、またルネが窓から外を見ているポスターの話へと戻ります。この写真が撮られたのと同じ時に、上のポスターの写真も撮られたということが、ルネのピーナッツの写真と赤いスカーフでわかりますね。そして、ルネが窓を開けているのは、やはり、窓枠が白の2階の窓。85年の写真でも建物は、ほとんどかわっていませんね。ただ電柱が取り除かれていて、その近くに2階へ上がる階段が取り付けられています。



 photo@シャンタル博士コレクション(Chantal Mandeville)

75年のケベックの雑誌 Perspectives のルネの記事。Passion Rene Nathalie et Regis Simardのジゼルさんの話によると、すべて同じ日に取材されたものらしいということです。だからルネのファッションは、同じなのですね。そしてこのファッションは日本でもおなじみのものでした。

 photo@Rene et Nathalie Simard les enfants cheris du show-buzz 
by Danielle et Claudine Bachand (1983) p25

71か72年頃の学校でのルネ。オルレアン島の後、モントリオールに戻り、落ち着いた頃、モントリオールの本屋さんでこの本を見つけ、購入したものです。この写真は、「普通の子供」(1972)のレコードのジャケットに使われたそうです。

ケベックのルネの大ファンのマリエルさんが、この写真にとても似ている画像のカラー版をシェアしてくれたのでそれをお借りしました。下にあるのがその画像。ルネがすごくかわいらしい。

  photo@passion simard

3つ年下の弟、ジャンロジャー、1つ上の兄、レジス、ルネ、お父さんのジャンロックに付き添われて学校に登校する途中のような画像ですね。本当はどこに行くところでしょうか。

そして「ウオーリーを探せ!」で、この学校をストリートビューで発見したのは、「ミドリ色の屋根は永遠に」のkeiさんでした!そしてアドレスを教えていただいた後で、私も発見。下にあるのは、サテライトの地図といっしょにスクリーンショットで撮った写真です。
 google map ストリートビューでのルネの通った学校
アドレスは 、104 Chemin du Bout de l'Île, Sainte-Pétronille, QC, Canada

この画像は、2009年のものだそうです。これを見ると、昔の建物と同じとはわかりますが、ずいぶん、いろいろなものがかわっているようです。現在は、セントペトロニル村のコミュニテイセンター として使われているようです。




 セントペトロネル村ニューズレター(広報紙)

これは、村の役場サイトからダウンロードできる村の広報紙。その一番上につかわれている広報紙のレターヘッド的なものの中に、この学校だった建物、そしてルネの通った教会、そしてルネの住んでいた「船長の家」の写真も、何気なく載っています。


セントペトロネル 村役場

村役場の業務も、もとの学校の建物でしているのだとばかり思っていましたが、役場としての建物は、別にありました。それも学校の建物だったところのすぐ後ろに。


 サテライトマップで見たセントペトロネル村

ミドリの矢印は、ルネがお隣といわれる家のプールであそんでいた その家を「ウオーリーを探せ!」で見つけようとしていたとき、これかな?と思ったプールに矢印がついてしまいました!


 「セントペトロネル村ルネファンマップ」

 ダウンロードした散歩コースに少し手を加えてルネファンのための「セントペトロネル村ルネファンマップ」を作成してみました!日本からわざわざ島に行っても、ルネが関わった場所を見落とすことがないように利用して下さったら嬉しいです。この地図やストリートビューやサテライトでこの付近を見てみると、ルネの2つの家から、教会、学校などは、やはりそんなに離れていなかったことがわかります。今、このような地図があれば、迷うことなく、ルネに関わる場所を全部見る事ができたのに!と思うと本当に残念!

この地図を見て、ルネの大好きなHoraito Walker という通りに気がつくと思います。これは、ルネのドキュメンタリー映画「普通の子供」の最初に、レジスと凍ったセントローレンス川の端で遊ぶルネの姿がありますが、最近のインタビューで、あまり他の人に知られていない場所で好きな所は?という質問に、ルネは、このHoraito Walkerの通りのことを話しています。「この道をずっと歩くと、セントローレンス川のビーチに続いていて とても美しいところだ」と言っています。
 
Horaito Walker (May 12, 1858 – September 27, 1938)は、トロント生まれの有名な画家で、セントペトロネル村に移り住み、ここで、生涯を終えるまで絵を描いていたそうです。この画家の名前をとってつけられたのがルネの話しているRue (street) Horaito Walkerの通り(というより、道)です。私が島を訪れたときには、この通りは自転車で走らなかったと思うので、またストリートビューで歩いてみることにしました。果たしてルネの大好きな道というのは、どんなところか!

 これが、Horaito Walker Street ( Rue Horaito Walker) です。上は、セントローレンス川のビーチに続く方向を歩いたところ。もう少し行くと、道がなくなり、ビーチがはじまります。
そして下の画像は、そこから、後ろを振り向いてみる事ができる風景。遠くに、ケベックシテイが見えますね。

 photo@Marielle collection
セントローレンス川のビーチ(岸辺)のルネ。この辺りは、背後にケベックシテイが見えるので、おそらくルネの船長の家の近くにある場所。Rue Horaito Walker の通りではないと思います。


セントペトロネル教会についても書こうと思っていたのに、もうすごく長い記事になっていますから、そろそろ終わりにしましょう。でも、最後に、ルネがHoraito Walkerについて話している同じインタビュー記事からのオルレアン島に関するルネのお話を紹介いたしましょう。





Q:ルネの大好きな場所は?
ルネ: 「モンモラシーの滝の一番上に行って、オルレアン島から伸びるオルレアン島橋をみる事が好き。冬には、よくこの(凍った)滝に行って、滝の底にある凍ったところで滑って遊びました。」

 冬だったら、モンモラシーの滝の一番上からみるオルレアン島橋は、こんな感じだったのでしょうね。

youtubeで凍結したモンモラシーの滝で、滑って遊んでいる高校生ぐらいの子供たち?のビデオを見つけました。この子たちがすべっているのは、アイスピックをもって、滑りすぎないように注意していますが、BC州そしてカナダの冬に雪遊びの最中、よく耳にした言葉は、"tobogganing"。日本ではまず聞いた事がない英語でした。 そりのようなものに乗ってすべることをさすのですが、カナダのエスキモーやインデアンの言葉に起源があるそうです。BC州での冬もそれは、それはおとぎの国にいるような風景が広がっていて、夜になると車が来ない坂道へ行って、このtobogganingをしていました。凍るような空気の中でもとても楽しかったです。そしてそのあとに家の暖炉の前でいただいたチョコレートドリンクがたまらなくおいしかった!ルネもきっとこんな寒さと楽しさ、暖かさとおいしさの懐かしい冬の思い出をたくさん持っているのでしょう。







Q:オルレアン島で好きなところは?
ルネ:セントペトロネル村です。この村は、ぼくがチクテイミから越してきて住んだところです。10代の頃と家族と一緒に過ごした思い出深い場所です。

また、ナタリーの大ファンのジョセフくんが最近読んだルネの別のインタビュー記事についてこんな事を教えてくれました。

"In the last René's interview (Allô-Vedettes magazine) he said something very charming. He said when he was young and lived on the Island the family lived next to the boat platform where visitors arrived each Sunday. Then the whole family came out on the balcony and began to sing. He said that people called them "the singing family". Love that story".

訳: 


ルネの最近のAllo-Vedettesの雑誌のインタビューで、ルネはすごくチャーミングなことを話していました。「まだ、デビューする前、島で家族と住んでいたとき、毎週日曜日に観光客が到着する船着き場の近くに住んでいました。( 船着き場に近い、白い家のことでしょう)そして観光客が到着する度に、家族みんなで、バルコニーにでて歌を歌い始めるんです。だから観光客の人たちから、「唄う家族」と呼ばれていたんです。」僕は、このストーリーがとても素敵だと思いましたよ。

オルレアン島についての記事を書いている時期に、ルネもオルレアン島について話していたとは偶然でも嬉しく思います。そして、やはり、今でも忘れられない大切な家族との思い出でがたくさんオルレアン島にはつまっているのだと言うことも知ることができて良かったです。




photo@Marielle collection

le journal de quebecには、インタビューの始まる前にルネの最近の活躍についてこんなことが書かれてあります。

チクーテイミ出身のルネシマールは、オルレアン島のセントペトロネルで、少年時代と青年時代の一部分を過ごしました。ルネは、この夏に開かれるjust for laughs festival (コメデイフェステイバル)でミュージカル「雨に唄えば」に出演します。そして秋には、L'Ecuyerがホストをつとめるcbcの歌番組にも出演する事が決まって大活躍です。

また、歌手でもあり、デイレクターでもあるルネは、奥さんのマリージョセの勧めで、ケベックオーラリストスクールの基金集めのスポークスマンになることを決めました。この学校は、聴覚障害を持つ子供たちが手話を使わず、リップリーデングと声を出して学ぶ学校で、この基金集めは、これから5年間の予定で行われる予定とのこと。

またルネは、ここで、自分の好きな他のいろいろな場所、たとえばレストランなどについてインタビューに答えていますから、ルネがどんなことを言っているのかまた紹介いたしますね。

 次回は、セントペトロネル教会について、そしてオルレアン島ともお別れです。もう予想されていると思いますが、もちろんストリートビューで、この教会も探してありますよ! 私が、見つけた教会とは、はたして、このセントペトロネル教会だったのか、それとも全く違う教会だったのか。。。次回までよく考えておきます。教会の中を見た事、そして結構若めの神父さまが出てきて、飲み物をくれたこと、二人で庭でお話したことは今もよく覚えているのですが。。。なには、ともあれ長くなりすぎ!ですから、次回をお楽しみに。


Photo@Marielle collection











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